這首歌其實原曲是山口百惠在70年代為日本國鐵所唱的宣傳歌曲,也紅極一時。所以當時很多人拿來當成畢業或是告別時唱的歌。但是原作者谷村新司很慎重地對外說「請大家仔細看歌的內容,這並不是適合在好日子唱的歌」……
的確,這首歌有種一個人出遊的淒美和悲傷。而在三十年後,由鬼束千尋重新為日本JR重唱的這首歌(歌詞內容有變),旅行的目的地由北方變成了西方,同樣不變的是這首歌的美感。而這首歌也想當然爾的,成了現在JR西日本的主題歌。在列車上、月台上,都會聽到這首好聽的歌曲。
所以,你不會怎麼行?
遥(ハル)かな しまなみ 錆色(サビイロ)の凪(ナギ)の海(うみ)
遙遠的島嶼 鐵青色的無風之海
セピアの雲(くも)は流れて(ながれて) どこへ行く(ゆく)
黑白的雲流動著 要到哪裏去呢
影絵(かげえ)のきつねを追(お)いかけた あの頃(ころ)の
追逐著影子劇中的狐狸 那個時代的夢想
夢(ゆめ)を今(いま)も懐(ふところ)に 西(にし)へゆく
現在也在我的懷裏 朝著西邊去吧
ああ 日本(にほん)のどこかに
啊 在日本的某個地方
私(わたし)を待ってる(まってる) 人(ひと)がいる
會有個人 在等待著我
いい日(ひ)旅立ち(たびだち) ふたたびの風(かぜ)の中(なか)
好日子 出遊吧 再次在風中
今も聞こえる(きこえる)あの日の 歌(うた)を道連れ(みちづれ)に
把現在仍聽得到那個日子的歌聲 當成旅程的伴侶
蛍(ほたる)の光(ひかり)は 遠い(とおい)日(ひ)の送り火(おくりび)か
螢火蟲的光芒 是送走遙遠日子的火炬嗎
小さく(ちいさく)見える(みえる)景色(けいしき)は 陽炎(カゲロウ)か
變小的景色 是海市蜃樓嗎
出逢い(であい)も別れ(わかれ)も 夕暮れ(ゆうぐれ)にあずけたら
把相逢和離別 都交給黃昏
自分(じぶん)の影(かげ)を捜(サガ)しに 西へ行く
為了找尋自己的影子 朝西邊而去
ああ 日本のどこかに
啊 在日本的某個地方
私を待ってる 人がいる
有個在等待著我的人
いい日旅立ち 朝焼け(あさやけ)の風(かぜ)の中(なか)
好日子 出遊吧 在朝霞的風中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
把現在仍然聽得到的 那個日子的歌聲 當作旅程的伴侶
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 憧憬(アコガレ)は風の中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
好日子 出遊吧 再次在風中
今も聞こえる(きこえる)あの日の 歌(うた)を道連れ(みちづれ)に
把現在仍聽得到那個日子的歌聲 當成旅程的伴侶
蛍(ほたる)の光(ひかり)は 遠い(とおい)日(ひ)の送り火(おくりび)か
螢火蟲的光芒 是送走遙遠日子的火炬嗎
小さく(ちいさく)見える(みえる)景色(けいしき)は 陽炎(カゲロウ)か
變小的景色 是海市蜃樓嗎
出逢い(であい)も別れ(わかれ)も 夕暮れ(ゆうぐれ)にあずけたら
把相逢和離別 都交給黃昏
自分(じぶん)の影(かげ)を捜(サガ)しに 西へ行く
為了找尋自己的影子 朝西邊而去
ああ 日本のどこかに
啊 在日本的某個地方
私を待ってる 人がいる
有個在等待著我的人
いい日旅立ち 朝焼け(あさやけ)の風(かぜ)の中(なか)
好日子 出遊吧 在朝霞的風中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
把現在仍然聽得到的 那個日子的歌聲 當作旅程的伴侶
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 憧憬(アコガレ)は風の中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに