2013年4月21日 星期日

其實武士真的很像黑社會。





    大家都知道,織田信長的身分是武士。而對這方面有興趣的讀者,可能更知道同時代還有武田信玄、上杉謙信、伊達政宗等著名的武士。


    不過,到底武士是什麼樣的人種?

2013年4月19日 星期五

「風林火山」武田信玄的實相





說來慚愧,亦竹在自己學生的引導下,到最近才開始接觸轟動全台的「魔獸信長」。這個以魔獸為主架,再以日本戰國群雄作為題材改版的遊戲,讓好強的亦竹雖然已經三十好幾,但仍然不服輸地想要幹掉已經玩了這個遊戲兩三年的小朋友。遊戲中分為「織田軍」和「聯合軍」,裏面也出現了不少戰國時代赫赫有名的武將們,但是在這裏,主攻日本文化的小弟,仍然免不了要對內容吹毛求庇,「靠北」一下。現在,我們就來把焦點放在「甲斐之虎」武田信玄身上。

2013年3月6日 星期三

書呆.核四.臭牛排

    之前的「戰爆反核風波」,讓我發現了台灣幾個嚴重的問題。

    雖然我的文有很多人轉PO,然後在BLOGGER裏也有很多人用他們的臉書向我叫陣,當然,我一個都沒理。男人的人生,不是用在和這些出一張嘴的貨色們浪費用的。

    今天,不是要打人臉的。

    眾多的回應裏,其中一個批判倒是引起我的興趣了(原PO的那個謝同學已經陷入自HIGH狀態,我連看他的臉書回應都懶,什麼邏輯強弱,叫他留著自己爽就可以)。他說我的「風評被害」是個有趣的觀點,但是我跳過了謝明豪的那些邏輯,所以是避過重點,辯論是拿不到分的。

    誰在跟你辯論?

    蔡桑在講的,是風評被害的恐怖,這是福島親身體驗的,甚至這些擁核覺得核能很安全的朋友們也正式成為加害者的現在進行式,不是你電視上看到的二次元畫面,不是你拿來逞口舌之外、拿來跟人家鬥嘴的工具,聽不懂嗎?這種心態,並不是這個批判者的單一個案,你在今天的台灣可以發現,知識分子的好為清談和缺乏同理心,已經成為一種通病。你只要仔細一看,就知道蔡桑不是絕對反核、拒核、恐核。不然,我為什麼現在仍然敢常常去福島,並且在第一時間就深入到磐城市、甚至到了三十公里封鎖線的正前方?

    這些朋友的理論推演,對福島當地居民來講,可是死活問題。當地居民不是不怕死,而是實際自己天天檢測的結果,仍然是成人可以承受的數值範圍之內。上一篇打臉文的重點,就是「核四工程品質差爆,極可能發生小事故」,而小事故發生,不管你安不安全,全世界沒有人會理你。就像福島當地一樣,我也覺得其實應該是還可以接受的,但是台灣諸公們,你們不管反不反核,有這種接受的勇氣嗎?

    用自己的親身經驗告訴你,你還在那邊雞蛋頭挑骨頭。告訴你,你的那套完美數值只存在於實驗室和冰冷的人造世界裏而已。簡單打個比方,你設計了一個完美無缺的實驗過程,也用了最好的實驗環境,更有最好的實驗器具,只要找兩個工作人員照作,就一定不會有問題而得到成功。但是學校派給你的實際操作人員,是台灣最受尊敬的吳慾升顏冬瓜兩位。

    要邏輯是嗎?謝同學的「戰爆反核」內容就是完美的實驗過程、環境、器具,而我的實證,就是台灣核四的品質就如同上述兩位令人尊敬人士打造出來的一般。而全世界的人,在面臨有災難威脅時,反應不會比經典賽台韓大戰的一日球迷高明多少。

    請告訴我,你的邏輯,有什麼用?我書也算讀了不短的時間了,書呆子也看多了。當一個國家由書呆和理論先行的人士主導時,國家前途就堪憂了。太平洋戰爭時的日本如此,歐戰時的德國,也是如此。

    看看現在的核四吧。如果核能是牛排的話,不要告訴我對美牛的恐慌是迷信所以核四牛排館是安全的。因為那家牛排館的牛肉都是用最差最不新鮮的,而且廚師還打完手槍不洗手就直接拿牛排下去煎,鐵板還是直接放在地上被流浪狗噴尿過的。

    請不要因為你是專業的西餐師傅或營養師,就強迫全台灣一定要吃下這份臭牛排。我不是反美牛,只是不想幫那家爛牛排館的髒廚師間接吹喇叭而已。不要再跟我說什麼邏不邏輯了,因為牛排端上來的時候,你我都已經聞到那股騷味了!

2013年3月2日 星期六

清華大學?林北一巴掌讓你知道你的程度到哪裏!!----福島經驗的真正恐怖之處鄉民毆臉文



今天在網上,有個清華大學核工系的學生(?),貼了一篇豪氣干雲的文章在臉書上。原文如下:

教你如何戰爆反核人士


作成: 謝明豪 日時: 2013年2月28日 12:31 ·

關於核能議題,筆者已累積了兩年豐富的筆戰經驗,看一眼就知道哪些人值得和他講理、哪些人除了嘴砲什麼都不會;這意味討論核能(or核四)議題的時候,不僅要具備正確的科學知識,最好還要懂一些辯論的技巧,以免遇到國中生來亂的,還認真找各種資料回應它,十分浪費時間。

2013年2月19日 星期二

台湾のかたち(二)--中華民国というプレハブ小屋


    一つ、変な歴史の想像をしてみよう。

 戊辰戦争により、幕府が滅び、明治政府が成立した。その後、琉球王国が整理され、沖縄県となったのは小学生くらいもわかる日本の近代史である。

   もし、奥羽諸藩が意外と健闘し、明治政府が樹立してもなおしばらく残存していたら、どうなるか。
 
 内戦状態が続きながら、新政府の優勢にかわりはないはずだから、「賊軍」がなお残っているけど、そのまま新政府の勢力圏内では新政が敷かれ、今まで属国だった琉球が、沖縄県として日本に吸収されてしまう。そのうち、賊軍は敗れ、北海道から敗走してしまった。逃げた幕府軍はそのまま沖縄に上陸し、現地の人々を弾圧して連れてきた幕臣たちで「日本の正統政権である徳川幕府は今でも全日本の統治権を有しているぞ」と叫ばんばかりで、幕府は琉球を「仮の反攻基地」としてずっと居座ってきた。

 もちろん、幕軍が沖縄を占領した時は、すでに琉球は日本の一部になっていた。ただし、その数年前まではれっきとした国家であり、日本とは別の国であった。その上幕府は「日本の正統政権」と称し、統治範囲はすでに沖縄にしかなくなったが、頑として親藩と御家人だけが政治に関わり、沖縄本土の人々はその下働きか、下級官吏にしかなれない。


 なぜこのような話をするかというと、この話の新政府を「中国人民共和国」、幕府を「中華民国」、徳川家を「国民党」、琉球を「台湾」に書き換えれば、そのまま現在の台湾の状況が反映される。

 台湾の親日的な性格は、のちにやってきた国民党の影響が大きい。終戦まで、台湾は五十年間日本の一部であった。もちろん、二等国民の差別はあろうし、不公平感は統治中にはあった。それでも、「同胞」であるはずだった国民党に比べれば、日本という「異民族の祖国」はマシだった。その上、まったくゆかりのない連中がいきなり来て、狭い台湾で全国規模の軍人、公務員が君臨してきて、台湾を一時の仮の住まいとして現地の人たちをできるだけ酷使して、政権だけは参入させなかった。
 
 台湾人の台湾なのに。

 だから、今の台湾は、確かに中華民国の治下にある。ただし、幕府が沖縄にしかその統治が及ばないように、諸国は新政府のみを認めるのはあたりまえである。同じく、中華民国は台湾に存在しながら、国際的には幻の国になってしまった。そして、台湾人の中華民国ではなかった。現在、いわゆる本省人が国民党の大半を占めていても、歴史の蓄積として、現在の台湾人は、なお国民党が台湾で建てた「中華民国」という名のプレハブ小屋に住んでいる。この国を愛せよ、という人たちもいるが、それは「今住んでいるのはプレハブの豚小屋だが、それでも我が家だ」ということになる。

 立派に、誇りと思える我が家を建てることこそは、我ら台湾独立派の夢であり、使命である。