2012年12月8日 星期六

台湾のかたち(一)台湾、中華民国


台湾とは、どういうところなのか。
 世界一の親日国である。小さいながら貿易額で世界に一目置かれる国である。料理がうまいところである。そして、一昔前なら多くの日本人にしては中国と区別がつかない島国である。
 日本と隣接し、強い繋がりを持ちながら、実は日本人にとってぼんやりとしたイメージしかもたない国だ。
 まず、お断りしたいのは、私は司馬遼太郎を尊敬している。そのため、この台湾の輪郭を描くシリーズは、司馬氏の著作『この国のかたち』にあやかって『台湾のかたち』と名づけた。なお、私は日本で交換留学を経験し、修士、博士を取得したため、日本という国は、私にとって大恩のある第二の故郷である。この第二の故郷の人々に自分の生まれ育った国を紹介すべく、私はこのシリーズを書くことにした。
 ただし、私は学者一筋で、大学という安逸平和な場所で育ったわけではなかった。貧乏の出で、幼少から住む場所を転々としながら、大学時代から翻訳を生業とし、修士、博士時代でも副業として小口貿易をやっていた。三年間ほど帰国して大学の教員をやりながら、国会議員選、直轄市(政令指定都市)市長選のブレーンを務め、台湾の政治に深くかかわってきた。現在でも数個の台湾独立系民間政治団体の役員でありながら、名高き台湾独立連盟日本本部のメンバーでもある。
 ゆえに、僭越ながら、普通の台湾人より、ディープに台湾を語ることができると思う。そして私がこのシリーズを書く目的も、その台湾の深層な部分までみんなに分かっていただくことにある。
 なお、くどいようだが、司馬遼太郎を慕う私は、文体、書き方は氏に真似することが多く、なおあくまでも外人が書いた日本語なので、ご了承を。


 小さな。
 人口2300万、面積36000平方キロ。台湾海峡を隔てて中国と相見える。よい気候に恵まれながら、エネルギー資源には欠いている。これは、この小さな島国の第一印象であろう。
 この島国の正式名称は、中華民国である。実は世界中この中華民国を承認する国は20数ヶ国しかなく、それが日本人にとってこの国のイメージがぼんやりとする理由である。
 1895年~1945、日清戦争の結果で台湾は大日本帝国の一部になっていた。その間、すべての台湾人は日本人であった。それが、現在でも根強い台湾の親日感情のゆえんである。同じく日本に統治された韓国に比べれば、反日感情はあまりにも薄い。その理由は、実は上述の日本人の台湾に対するぼんやりとするイメージとは同じである。
 中華民国である。
 中華民国は、早い話では旧中国政権である。清王朝が倒されたあとに中国に成立した政権で、様々な内戦を経てやっと統一に成功したが日中戦争に突入させられた。敗戦後、台湾を接収したのは、この中華民国である。だが、戦争で疲弊した国民政府は汚職を重ね、そのゆえ貧乏で文盲が多かった。台湾人は一瞬にして、祖国の懐に戻った喜びから戦前までの一等国民が三流国家に統治される屈辱を覚えるようになった。
 しかも、敗戦の四年後、中華民国は大陸で共産党に敗れ、政権そのものが台湾に流れてきた。戦後の数十年、国際はだんだん新中国を認めはじめ、台湾での中華民国は国際社会での居場所を一つ一つ奪われてきた。それでも中華民国は反攻の夢を忘れず、一時しのぎの場所である台湾の建設を怠ってきた。それに比べれば、異民族の日本の統治はまだマシだったという感情は、現在台湾の親日感情の下地を作った。
 だが、この国際社会に捨てられるようになった中華民国は、いやしくも台湾の現政権である。それは台湾人の一つのジレンマであり、矛盾でもある。台湾というなら、知らない日本人はほとんどいないが、その正式国名は、紛らわしく切ない中華民国に今もなっている。