2013年2月19日 星期二

台湾のかたち(二)--中華民国というプレハブ小屋


    一つ、変な歴史の想像をしてみよう。

 戊辰戦争により、幕府が滅び、明治政府が成立した。その後、琉球王国が整理され、沖縄県となったのは小学生くらいもわかる日本の近代史である。

   もし、奥羽諸藩が意外と健闘し、明治政府が樹立してもなおしばらく残存していたら、どうなるか。
 
 内戦状態が続きながら、新政府の優勢にかわりはないはずだから、「賊軍」がなお残っているけど、そのまま新政府の勢力圏内では新政が敷かれ、今まで属国だった琉球が、沖縄県として日本に吸収されてしまう。そのうち、賊軍は敗れ、北海道から敗走してしまった。逃げた幕府軍はそのまま沖縄に上陸し、現地の人々を弾圧して連れてきた幕臣たちで「日本の正統政権である徳川幕府は今でも全日本の統治権を有しているぞ」と叫ばんばかりで、幕府は琉球を「仮の反攻基地」としてずっと居座ってきた。

 もちろん、幕軍が沖縄を占領した時は、すでに琉球は日本の一部になっていた。ただし、その数年前まではれっきとした国家であり、日本とは別の国であった。その上幕府は「日本の正統政権」と称し、統治範囲はすでに沖縄にしかなくなったが、頑として親藩と御家人だけが政治に関わり、沖縄本土の人々はその下働きか、下級官吏にしかなれない。


 なぜこのような話をするかというと、この話の新政府を「中国人民共和国」、幕府を「中華民国」、徳川家を「国民党」、琉球を「台湾」に書き換えれば、そのまま現在の台湾の状況が反映される。

 台湾の親日的な性格は、のちにやってきた国民党の影響が大きい。終戦まで、台湾は五十年間日本の一部であった。もちろん、二等国民の差別はあろうし、不公平感は統治中にはあった。それでも、「同胞」であるはずだった国民党に比べれば、日本という「異民族の祖国」はマシだった。その上、まったくゆかりのない連中がいきなり来て、狭い台湾で全国規模の軍人、公務員が君臨してきて、台湾を一時の仮の住まいとして現地の人たちをできるだけ酷使して、政権だけは参入させなかった。
 
 台湾人の台湾なのに。

 だから、今の台湾は、確かに中華民国の治下にある。ただし、幕府が沖縄にしかその統治が及ばないように、諸国は新政府のみを認めるのはあたりまえである。同じく、中華民国は台湾に存在しながら、国際的には幻の国になってしまった。そして、台湾人の中華民国ではなかった。現在、いわゆる本省人が国民党の大半を占めていても、歴史の蓄積として、現在の台湾人は、なお国民党が台湾で建てた「中華民国」という名のプレハブ小屋に住んでいる。この国を愛せよ、という人たちもいるが、それは「今住んでいるのはプレハブの豚小屋だが、それでも我が家だ」ということになる。

 立派に、誇りと思える我が家を建てることこそは、我ら台湾独立派の夢であり、使命である。